花隈城 (はなくまじょう) (花熊城・鼻熊城)
所在地 兵庫県神戸市中央区花隈町1 2015.5.3
花隈城 (はなくまじょう) (花熊城・鼻熊城)
所在地 兵庫県神戸市中央区花隈町1 2015.5.3
花隈公園
花隈公園石垣
城跡碑・由来碑
東郷井・城趾碑
櫓台
花隈城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 阪急電鉄神戸高速線「花隈駅」の北より東に100mほど行くと花隈公園がある。
花隈公園(表記番地)の地下部分に有料駐車場が用意されている[マップコード12 367 189*12]。出口は南にあり東海道本線と公園の間の広い道は一方通行で、出庫時は左折のみで注意を要する。
都市公園として整備され、模擬石垣が造られている。登って行った高台に「花隈城跡」と由来碑が埋め込まれ、最上段に「東郷井」「花隈城趾」の石碑が建てられている。西側に一段高く石垣の櫓台がある。
平成七年(1995年)1月17日兵庫県南部地震で倒壊し復旧されたものである。市街地の真ん中にあり眺望は良い。
【歴史】 永禄十年(1567年)織田信長が中国征伐のため荒木村重に命じて、築城された。
後、村重が天正六年(1578年)村重が信長に叛いたとき、有岡城の支城として戦い、池田信輝(恒興)らに攻められ天正八年(1580年)八月二日、ついに落城した。
合戦の功によりこの地を与えられた池田恒興は兵庫城を築城したため、花隈城は廃城となった。
城の規模は古図によると、本丸の北西隅に天守、東南隅に櫓を設け、北に二の丸、三の丸と続きその東に侍町と足軽町があり、近世城郭の形態を完備した偉容を示していたと伝えられるが、建物の構造等詳しくは判らない。
東は現在の県庁、西は善福寺(モダン寺)、南は東海道本線高架、北は市電山手線の区域で東西約350m南北約200mであったと思われる。『説明文』より。