魚見岳台場 (うおみだけだいば) (国の史跡)
最寄地 長崎県長崎市戸町5-985 2019.12.11
魚見岳台場 (うおみだけだいば) (国の史跡)
最寄地 長崎県長崎市戸町5-985 2019.12.11
国道横の標識・説明板
三の増台場・石碑
三の増台場・石垣
二の増台場・石垣
二の増台場
一の増台場・石垣
魚見岳台場 一の増台場跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高70m】
【感想】 長崎湾を挟んで神崎鼻と相対する魚見岳の標高75m付近の尾根に一の増台場があり、等間隔に二の増台場、三の増台場の石垣がよく残されている。
二の増台場は規模が大きく2段の石垣になっている。
【案内】 国道499号線に面した南部下水処理場(表記番地)に駐車させてもらった[マップコード443 762 854*32]。
処理場南に登り口があり、説明板が建てられている(地図)。そこからかって使用された道があり、ジグザグに登ってゆくと三の増台場があり、石垣がよく残り説明板と配置図が建てられている。ここから、神崎と結ぶ女神大橋が間近かに望める。
更に登ると、二の増台場、一の増台場の石垣が夫々残っている。
昭和六十一年(1986年)1月31日、国の史跡に指定された。
【歴史】 江戸幕府の鎖国政策による長崎港の防衛のため、数次にわたり港の内外に砲台が設けられた。
承応二年(1653年)大田越(1番)、女神(2番)、神崎(3番)、白崎(4番)、高鉾(5番)、長刀岩(6番)、陰の尾(7番)の7ヶ所にまず新設された(古台場)。
文化五年(1808年)2・3・5・7番に隣接した台場と沙崩台場が築かれた(新台場)。
文化七年(1810年)3・5・6番に隣接した台場と新たに魚見岳の4ヶ所に増設された(増台場)
ここ魚見岳台場は対岸の神崎台場と相対して幅500mの港口を押える要衝 であった。