端谷城 (はしたにじょう) (衣笠城)
所在地 兵庫県神戸市西区櫨谷町寺谷923 2021.2.9
端谷城 (はしたにじょう) (衣笠城)
所在地 兵庫県神戸市西区櫨谷町寺谷923 2021.2.9
登城ルート
城跡碑
三の丸の満福寺・道標
三の丸北の堀切
二の丸・本丸切岸
本丸・櫓台
本丸北の大堀切
端谷城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高40m】
【感想】 櫨谷(はせたに)町寺谷の櫨谷川とその支流に挟まれた半島状地形に築かれている。
満福寺が三の丸に建てられ、二の丸との間に深い堀切がよく残っている。二の丸は南北に細長く屈曲し、一段高く本丸が東西に伸びており、西に櫓台が見られる。
そこから北の大堀切を覗くと底ははるか下で目も眩むようだ。急斜面で直接は降りられず、西から回り込んで撮影した。土木工事量は甚大で堀底に立つと両側の急な切岸は圧巻である。
【案内】 県道52号線北に駐車場があり、案内板が建てられている[マップコード31 501 646*81]。
橋を渡って北に行くと満福寺(表記番地)があり、車道の所に石碑が建てられ境内は三の丸となっている。
庫裏の裏から北に行くと、深い堀切があり、その北に細長い二の丸がある。
北に一段高く本丸があり北西に櫓台がある。
南西の「西の壇」を経て北側に回り込むと大堀切を見ることができる。
【歴史】 築城時期は不明だが、城主の衣笠氏は鎌倉時代の中頃には櫨谷の荘園を治めていたと考えられる。
室町時代には赤松氏に属し応仁の乱(1467~77年)などで活躍し、その功により衣笠の姓を与えられたという。
その後、福中城(平野町福中)の間嶋氏などと勢力争いを続け、勢力拡大に伴い櫨谷(はせたに) の谷筋に池谷城、福谷城、城ヶ市城、城ヶ谷城など衣笠氏一族のものと考えられる城を築いた。
戦国時代、三木城主別所氏が東播磨の覇者となると、端谷城もその支城の役割を果たした。
天正六年(1578年)羽柴秀吉の三木城攻めが開始され、端谷城主衣笠範影は淡河城の淡河氏、福中城の間嶋氏らと共に別所方として活躍したが、天正八年(1580年)一月十七日三木城落城後、同年二月二十五日に落城、廃城となった。