広田城 (ひろたじょう)
最寄地 長崎県佐世保市広田町824 2019.12.13
広田城 (ひろたじょう)
最寄地 長崎県佐世保市広田町824 2019.12.13
登城ルート
東側尾根から西へ
東側堀切
主郭
広田城本丸趾の碑
南側帯郭
広田城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 佐世保市広田町の小森川南の標高57mの丘陵に築かれている。東西200m程の細長い主郭があり、南側に帯郭が設けられている。
西側に横堀や土塁がよく残っている。
【案内】 佐世保市広田町の城跡東側の道路に駐車出来、こちらから登ってみた[マップコード307 472 043*66](地図)。
そこから西に登ると、間もなく横堀があり、虎口を経て細長い主郭がある。主郭の中央に祠や本丸跡碑が建てられている。南に帯郭が延々と続き、西側に横堀、北西に土塁が残っている。
そこから西に行くと、遊歩道があり(地図)、表記番地前を通って団地への道の右に出た[マップコード307 442 780*75]。
帰りは散策を兼ねて、車まで舗装道を戻った。
【歴史】 天正年間(1573~93年)に松浦鎮信によって築かれたと云われ、家臣佐々可雲を守将とした。
天正十四年(1586年)大村純忠は西肥前の有馬氏・波多氏・有田氏と共に早岐地方に侵攻した。
松浦氏の井手平城を攻め落とし広田城に攻め寄せたが、松浦隆信・鎮信父子が平戸より援軍を派遣、佐々加雲も城内より討って出、大村連合軍を破り落城を免れた。
その後九州平定を行った豊臣秀吉により早岐地方は松浦氏の所領となり元和元年(1615年)の一国一城令による廃城まで、松浦氏の南端の城として使われた。