宇津城 (うつじょう)
最寄地 京都府京都市右京区京北下宇津町宮ノ下15−2 2019.7.8
宇津城 (うつじょう)
最寄地 京都府京都市右京区京北下宇津町宮ノ下15−2 2019.7.8
登城ルート
八幡神社
竪堀状の溝
東側石垣
主郭・虎口窪み
2郭
3郭より2郭切岸
3郭北側尾根の堀切
宇津城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【感想】 弓削川左岸に突き出た標高356m尾根先端部に築かれており、主郭の北に2つの郭が配置され、南に腰郭がある。
北尾根と南東尾根に堀切が残され、特に東側には長さ4、5mの石垣が残っている。
当初、北尾根にある鉄塔東から試みたが、管理道は崩落のため消滅し急斜面の尾根付近はニセアカシアが多く、棘に阻まれ断念した。
八幡神社からの斜面も急で、登りは目標が見えており何とか登れたが、下りは降り口を間違え、滑りそうな急斜面で足がガクガクになり、南東の川に下りてしまった。
【案内】 国道477号線より府道364号線に入り、約1.6km行くと八幡神社がある[マップコード344 234 113*62]。その先の消防団器具庫駐車場隅に駐車させてもらった。
八幡神社の右側の鐘楼より直登する。竪堀状の窪みの右側、急な斜面を登ってゆく。
右手の堀切の窪みを目指し、そこより頂上を目指す。南側に腰郭があり、上段に主郭がある。主郭東に石垣が残り、北に下がって2郭、3郭と階段状に並んでいる。北側に堀切がある。
【歴史】 築城年代は定かではないが、岐阜市長森城主土岐氏の末子・頼顕が、宇津郷に移り住み宇津氏を称したといわれる。頼顕の後、頼夏、頼高、頼重と続いた。
天正七年(1579年)丹波に侵攻した織田信長の武将・明智光秀によって攻められ、宇津城主・頼重は一戦にも及ばず開城し、宇津氏は滅亡した。
その後、宇津城は光秀によって修築され、また新たに周山城が築かれたと言う。