基肄城 (きいじょう / きいのき) (椽城・肥前木山城) (古代山城)(国の特別史跡)
最寄地 佐賀県三養基郡基山町小倉2554-1 2014.5.8 2015.5.5
基肄城 (きいじょう / きいのき) (椽城・肥前木山城) (古代山城)(国の特別史跡)
最寄地 佐賀県三養基郡基山町小倉2554-1 2014.5.8 2015.5.5
登城ルート(緑線は車道/青は肥前木山城/水色は南門水門)
基山・土塁(西側)
頂上・休憩所
城跡碑・由来碑
肥前木山城北の堀切
肥前木山城・堀・土塁
木山城・天智天皇欽仰之碑・祠
南門跡石垣・水門
基肄城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高220m】
【案内・感想】 表記番地の高原川を横切る南門跡石垣・水門が復元され、説明板が建てられている[マップコード55 062 456*66](地図 )。
そこから基山までは比高約220mで、見学用歩道がある。草スキー場の東の山頂に土塁が残り、展望台、「基肄城跡」の石碑、由来碑が建てられている。
また西側道路から少しの距離で行くこともできる[マップコード55 061 785*36](地図)(西側道路より比高約60m)。
南約200mの基山に後年築かれた「いものがんぎ」と呼ばれる「肥前木山城」があり、堀切、曲輪があり、南端に天智天皇欽仰之碑や祠がある。
標高404mの基山(きやま)から標高414mの北帝にかけて築かれ、四方を4.2㎞にわたって土塁線が取り巻いている。北帝門跡、東北門跡、東南門跡、南門跡(水門)があり、大礎石群、丸尾礎石群、鐘撞跡、米倉跡がある。
城の規模はきわめて大きく、城郭史上における価値が高いとして、昭和十二年(1937年)12月21日、国の特別史跡に指定された。
【歴史】 白村江の戦いの後、天智天皇四年(665年)に(高安城・屋嶋城・大野城・金田城・鞠智城)等ととともに、有明海からの侵入に備え、南には基肄城を築かれた。
日本最古の古代山城(朝鮮式山城)である。日本書紀によれば、実際の築城は亡命百済貴族である憶礼福留(おくらいふくる)、四比福夫(しひふくふ)が指揮を執った。
南北朝時代、九州探題・今川了俊が基山山頂に陣を構えたという。その後、大内政弘に追われた少弐政資が木山城に籠城して戦ったと云われる。