矢筈城 (やはずじょう) (高山城・草苅城) (県の史跡)
所在地 岡山県津山市加茂町山下/知和 2020.5.7
矢筈城 (やはずじょう) (高山城・草苅城) (県の史跡)
所在地 岡山県津山市加茂町山下/知和 2020.5.7
登城ルート
駅前の城址碑
勾配のきつい登り坂
馬場
古城二の丸
古城本丸
古城4の丸
新城東の3重堀切(1、2番目)
3重堀切(3番目)
新城本丸
新城二の丸・三の丸
成興丸
矢筈城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高430m】
【感想】 標高756.3mに古城の本丸があり、西に階段状に2の丸、3の丸、4の丸が並んでおり、2の丸の北側に馬場跡がある。
西側に門跡や3重堀切、広大な郭が多くあり、狼煙場、櫓台など見所は多い。
古城と新城を合わせると、東西1600mに及ぶ広さで、草木もなく連郭式の山城の景観が堪能できる。
【案内】 因美線「美作河井駅」の駐車場が利用できる[マップコード544 148 276*50]。
駅前に城址碑、説明板、「矢筈城跡」の大看板が建てられている。
西の転車台横から若宮神社を経て登る。谷筋は砂礫で荒れて迂回路が設けられており、要所々々に標識や階段が設けられ迷う事はないが、斜度が急で足に来る。
やっとの思いで馬場に着く。馬場は2段になっており、そこからまた急な坂を登ってゆくと2の丸に出る。
2の丸の東に腰郭があり、最高所の本丸がある。本丸は広く見晴らしがよい。
2の丸の西下段に3の丸、4の丸がある。尾根を西に進みピークを越えた先に、アベノ門跡や3重堀切があり、土塁を備えた新城本丸がある。3段になった郭があり、北側に広い郭を備え、西には細長い成興丸や狼煙場、櫓台がある。
西の千磐神社からも登ることが出来、北側の住宅地の裏に草苅景継の墓所(地図)、県道に面して石垣のある草苅氏居館(地図)がある。
昭和四十四年(1969年)3月31日、加茂町(現津山市)の史跡に指定され、平成十八年(2006年)3月17日、岡山県の史跡に指定された。
【歴史】 草苅氏は藤原秀郷の後裔で、暦応元年(1338年)貞継の時、備前国三石城に籠って官軍を防ぎ、その功によって因幡国知頭郡を得て因幡国へ下向し淀山城(富貴谷城)を築いて居城とした。
天文元年(1532年)から翌二年にかけて、美作国と因幡国に勢力を有した国人領主・草苅衡継によって築かれた。その後景継が2代城主となった。
天正三年(1575年)四月二十七日織田信長の調略にかかり、景継が自刃に追い込まれると、弟の重継が跡を継いだ。
3代城主重継は毛利氏に属したため、宇喜多氏や織田信長の武将羽柴秀吉等の軍勢から攻撃を受けたがその都度撃退した。
天正十年(1582年)の本能寺の変後、毛利輝元の要請によって、天正十二年(1584年)重継は退城し、廃城となった。
小早川隆景の家臣となり後に毛利氏の家臣となった。