豊岡城 (とよおかじょう) (亀城・神武山)
所在地 兵庫県豊岡市京町12 2017.5.5
豊岡城 (とよおかじょう) (亀城・神武山)
所在地 兵庫県豊岡市京町12 2017.5.5
神武山公園入口・駐車場
本丸北切岸
本丸
笠の丸
豊岡県庁正門
京極家屋敷
豊岡城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高30m】
【感想】 JR山陰線「豊岡駅」の南東約800mの神武山にあり、公園内に散策コースが設けられており、遺構としては曲輪跡と切岸が残っている。
【案内】 「市立図書館」(豊岡市京町5−28)駐車場が利用できる[マップコード194 728 478*52]。
現在、豊岡城跡一帯は神武山公園として整備されている。東側の最高所に本丸、その西に天守台跡があり、一段下がって笠の丸跡がある。北側に小規模な萩の丸がある。
豊岡県庁正門(脇戸付薬医門)が図書館入口に保存されている。また、図書館の向いに、豊岡藩藩主京極家の屋敷がある。
【歴史】 但馬国守護大名山名持豊(宗全)により、此隅山城の出城として、標高48mの神武山に木崎城(城崎城)が築かれた。山名氏のもとでは、山名四天王に数えられた垣屋氏が配された。
天正八年(1580年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉による第二次但馬征伐で但馬国の山名氏が一旦滅ぶと、秀吉配下の宮部継潤の支配となった。宮部氏は、城崎を豊岡と改め、城を改築した。このとき城下町も整備され、これが現在の豊岡の町の基礎となった。
江戸時代に入ると、豊岡藩として杉原氏が城主となっていたが、三代・重玄に嫡子なくして無子改易となり、一旦廃藩となり、廃城となった。
寛文八年(1668年)に京極高盛が入封し、再度豊岡藩が置かれるが、城主大名の格式ではなく、山城の維持費もかかるため、神武山の麓に陣屋(豊岡陣屋)が建築され、藩政は陣屋にて行われた。
2代高住、3代高栄、4代高寛、5代高永 家名相続により1万5千石に減封、6代高品、7代高有、8代高行、9代高厚と続いた。
明治四年(1871年)廃藩置県により豊岡県となり、その後兵庫県に編入された。