曲渕城 (まがりぶちじょう)
最寄地 福岡県福岡市早良区曲渕700−1 2019.12.14
曲渕城 (まがりぶちじょう)
最寄地 福岡県福岡市早良区曲渕700−1 2019.12.14
登城ルート
駐車場・説明板
説明板
山神宮階段
大山上神社
背後の幅広の堀切
曲渕城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高30m】
【感想】 室見川(曲渕ダム湖)右岸の標高248mの尾根先端に築かれている。
主郭にはダム建設で城跡に移された大山上神社が建てられている。南背後に急な切岸があり、幅広の堀切が残っていた。
【案内】 「内野公民館曲渕分館」(表記番地)東に大山上神社への階段があり、その前に駐車できる[マップコード224 291 309*56]。そこに説明板が建てられている。鳥居の額には「山神宮」と記されている。
石段を上った社殿一帯が主郭で、南に土塁の台地があり、背後に深く幅広の堀切がある。
【歴史】 『筑前国続風土記』によれば、戦国末期の元亀・天正(1570~92年)の頃、一介の鍬の鍛冶屋であった鍛冶屋甚五兵衛が、戦国の風雲に乗じて、曲渕城主となり、曲淵河内守と改め、高祖山城の原田氏に属して早良11ヶ村を領した。
歴代城主には助次・氏助・房助・信助の名が記され、代々河内守を名乗った。
天正十五年(1587年)豊富秀吉軍の攻撃によって高祖山城が落城すると曲淵氏も滅び、河内守は浪人となったという。