霊仙山城 (りょうせんさんじょう)
最寄地 愛媛県今治市宮ヶ崎甲788 2018.3.6
霊仙山城 (りょうせんさんじょう)
最寄地 愛媛県今治市宮ヶ崎甲788 2018.3.6
登城ルート(緑線は車道)
円久寺・山城堂
登り口
北側の2郭
主郭・北側土塁
南西側の竪堀群
霊仙山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【感想】 標高156.9mの霊仙山に築かれ、南北に細長い主郭の両端に土塁が設けられている。主郭の南西側に竪堀がある。
主郭からは北に今治城やしまなみ海道が望め、また北東に国分山城の唐子山、瀬戸内海の絶景が望める。
【案内】 円久寺(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード119 632 032*87]。円久寺は中川山城守親武によって建立された寺で、本堂の北側に中川親武に由来した山城堂が建っている。
登り口は東側の墓地中央通路の奥にある(地図)。そこから約600mの遊歩道が設けられている。
頂上手前に堀切・土橋があり2郭、細長く折れた形の主郭がある。
【歴史】 築城時期は定かではないが、南北朝時代時代には国分山城の支城であったという。
戦国時代には守護大名河野通直の家臣中川親武が城主であった。親武は天正五年(1577年)54歳で病没し、その後を弟通任が継いだ。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉による四国征伐で通任は霊仙山城を退去し、廃城となったと云われる。