大津城 (おおつじょう) (天竺城・大津御所)
最寄地 高知県高知市大津甲1404―37 2018.3.8
大津城 (おおつじょう) (天竺城・大津御所)
最寄地 高知県高知市大津甲1404―37 2018.3.8
登城ルート
城址石碑・説明板
東の郭
土橋・空堀・八幡神社
土橋左の空堀
西側の空堀・2郭
大津城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 舟入川の南岸の標高46mの東西に伸びた独立丘陵に築かれている。古城八幡神社が主郭に祀られ、東側に土橋・空堀があり、西に一段下がって空堀、2郭が竹林の中に残っている。
【案内】 国道195号線より南に登った表記番地の西にあるアパート駐車場を寸借した。その西に市電南に「天竺右近花氏大津城址」の大きな石碑、説明板が建てられている。
西麓にも参道登り口がある(地図)。
【歴史】 大津城は、土佐守護細川氏の一族天竺右近花氏(はなうじし)の居城として築かれたとされる。
天文十六年(1547年)に長宗我部国親が大津城を攻略、城主・天竺孫十郎花氏を攻め滅ぼし、以降は長宗我部氏の持ち城となった。
天正二年(1574年)、土佐一条氏の当主一条兼定が家臣らによって追放され、長宗我部元親が幡多郡を平定すると、元親は兼定の嫡男一条内政を大津城に移し、内政は元親の娘を娶り、大津御所と呼ばれた。
天正八年(1580年)元親の家臣で妹婿である波川清宗が謀反を企むと、内政もこれに加担したものと疑われたため伊予に追放され、その嫡男一条政親は元親の家臣久礼田定祐に預けられた。この後、廃城になったと思われる。