鏡山城 (かがみやまじょう) (国の史跡)
所在地 広島県東広島市鏡山2 2013.10.7
鏡山城 (かがみやまじょう) (国の史跡)
所在地 広島県東広島市鏡山2 2013.10.7
登城ルート
入口・遠景
馬のダバ
中のダバ
2郭・井戸跡
1、2郭間堀切
1郭
鏡山城 御殿場跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高100m】
【案内・感想】 国道2号バイパス「御薗宇ランプ」より南に、約900m行き南に降ると、鏡山公園駐車場がある[マップコード102 867 474*32](地図)。
奥田大池の南西の比高100mの山頂付近が鏡山城跡である。園地の南より600mの行程を登ってゆくと、「東出丸」の曲輪があり、その西に「下のダバ」(5郭)の曲輪で井戸跡が残る。
その南に大手門があったと言われる4郭で「南郭群」側に石垣が残されている。4郭の西に「馬のダバ」と呼ばれる3郭があり石垣が遺る。
堀切で隔てられ一段高い二つの井戸がある「中のダバ」(二の丸)、その西に「御殿場」(1郭)の曲輪があり土塁が残る。御殿場からは北に県道や西条町の町並が望める。2郭の北に「北郭群」がある。
平成十年(1998年)1月14日、国の史跡に指定された。
【歴史】 鏡山城は安芸国西条にある山城で、安芸支配を狙う周防・長門の大内氏が長禄・寛正年間(1457~66年)に築城し、安芸支配の拠点とした。
鏡山城が築城された頃は応仁の乱により安芸国内も東西に分かれ、合戦が繰り広げられていた。この城も度々争奪戦の対象となり、安芸の旧守護の安芸武田氏や沼田小早川氏の攻撃を受けた。
時代が下り、大内義興の時代になってもこの城の重要性は変わらず、安芸支配の拠点となっていた。
出雲の尼子氏が安芸国に勢力を伸ばしてきた大永三年(1523年)に鏡山城も尼子経久率いる安芸国人衆の攻撃を受けた。
鏡山城主・蔵田房信は奮戦し、尼子軍は大きな損害を出したが、尼子氏に従属していた毛利氏当主・毛利幸松丸の後見人である元就は、計略にて鏡山城を落城させ、蔵田房信は自害した。元就はこの戦いにおいてもその勇名を馳せた(鏡山城の戦い)。
大永五年(1525年)に大内氏は鏡山城を奪回したものの、その防御力に不安を感じた大内義興はより堅固な槌山城(東広島市八本松町吉川)を築き、拠点移した為、鏡山城は廃城となった。