平井山ノ上付城 (ひらいやまのうえつけじろ) (秀吉本陣跡) (国の史跡)
所在地 兵庫県三木市平井/与呂木 2021.2.9
平井山ノ上付城 (ひらいやまのうえつけじろ) (秀吉本陣跡) (国の史跡)
所在地 兵庫県三木市平井/与呂木 2021.2.9
登城ルート(緑線は車道)
駐車場・説明板・登り口
主郭・土塁
主郭・展望台
櫓台状土盛り
竹中半兵衛の墓
平井山ノ上付城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 三木城の東北東約2.7kmに位置する三木市平井の標高142mの尾根に築かれている。
空堀や堀切などの本格的防御施設は見られず、切岸と土塁を設け逆茂木で囲んだだけの急ごしらえの陣城の感が強い。
【案内】 県道513号線の平井公民館南より「秀吉本陣跡」の道標に従って東に400m程行くと、右に見学者駐車場が用意されている[マップコード31 796 748*62](地図)。
駐車場に説明板が建てられ、階段を登ると愛宕社があり、段状平坦地群を経て登って行くと太閤道の先に主郭がある。展望台が建てられ土塁が残っている。
少し東に櫓台の土盛りがあり、東側に大手道がある。
また西方に秀吉に仕え、この城で胸を病み天正七年六月十三日死去した竹中半兵衛の墓がある(地図)。
平成二十五年(2013年)三月、「三木城跡及び付城跡・土塁」として国の史跡に指定された。。
【歴史】 天正六年(1578年)七月、織田信長の長男・信忠が三木城を支援する神吉城や志方城を攻略した後、築城したとされる。
八月に羽柴秀吉が入ると、十月十五日に津田宗及を招いて茶会が行われた。同二十二日に別所方が襲来して合戦が繰り広げられたが、別所長治の弟・治定らが討ち死にするなど、別所方の敗北に終わった。