岩国城 (いわくにじょう) (横山城) (日本100名城74)
最寄地 山口県岩国市横山2‐6‐51 2013.5.27
岩国城 (いわくにじょう) (横山城) (日本100名城74)
最寄地 山口県岩国市横山2‐6‐51 2013.5.27
復興天守
復興天守
旧天守台
錦川・岩国市街
土居・堀
岩国城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★ 比高210m】
【案内・感想】 「岩国城ロープウェイ山麓駅」(表記番地、駐車場有)よりロープウェイで登る[マップコード103 006 131*81] 。ロープウェイ往復と岩国城見学料金は大人940円小学生450円となっている。
「山頂駅」から北東に250mほど行くと復興四重六階天守(本丸南側に「天守構造図」という絵図を元に昭和三七年RC造)が比高約210mの山頂に建てられている。四重六階の桃山風南蛮造(唐造)で、最上階をその下階より大きく造り、その間の屋根を省略した様式となっている。
内部は博物館となり三階は展望台となっている。蛇行する錦川や岩国市街、そして海岸近く岩国基地が望める。天守の北に旧天守台石垣の遺構がある。南西に二ノ丸、北東に北ノ丸、ほかに水の手などの曲輪がある。岩国城ロープウェイ山麓駅の南から東には、堀に囲まれた「御土居」があり、吉香公園となり、錦雲閣(横山2‐8)がある。
徒歩の場合は、山麓駅裏の神社横より登山道があり(地図)、比高約190mの山頂駅からの道に出る。北麓の県道114号線横にも登山口がある(地図)。
平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(74番)に選定された。
【歴史】 慶長五年関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元は領地を大幅に削減され、広島城から萩城に移封となった。同時に一族の吉川広家も同時に米子城から岩国に3万石で封じられた。
慶長五年(1600年)十月には家臣団が、慶長六年には広家がこの地に赴任した。
広家赴任と同時に岩国城の築城が開始された。麓に平時の居館となる「土居」と、戦時の城「横山城」が築かれた。
築城には八年の歳月が費やされ、まず翌慶長七年(1602年)に土居が完成し、そして横山山上に横山城の築城が開始され、慶長十三年(1608年)に竣工した。本丸には四重六階の唐造りの天守が建造された。
完成から、わずか七年後の慶長二十年(1615年)に幕府の一国一城令により廃城となり、横山城が破却された。
これは、周防国にはこの岩国城のみが存在していたが、長府藩の毛利秀元が居城の櫛崎城を破却したことに合わせざるを得なかったことによる。
その後、麓の土居は岩国領の陣屋として、また慶応四年の立藩後はその陣屋として、明治維新まで存続した。
明治十八年(1885年)居館「土居」跡が吉香公園となり、堀端に絵馬堂である錦雲閣が旧藩時代の櫓を模して建造され、現存している。
また、藩政時代の建造物として寛政年間(1789~1801年)に建てられた昌明館(七代当主吉川経倫の隠居所)の長屋が現存している。