笠置城 (かさぎじょう) (笠置山城)
所在地 京都府相楽郡笠置町笠置笠置山29 2017.2.4 2017.2.25
笠置城 (かさぎじょう) (笠置山城)
所在地 京都府相楽郡笠置町笠置笠置山29 2017.2.4 2017.2.25
登城ルート(緑線は車道/緑丸は二の丸)
山門
毘沙門堂
行在所遺址
貝吹き岩
二の丸跡
六角堂跡
笠置城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高210m(麓から)】
【感想】 南朝の城特有の麓からの比高は高い。追討軍を寄せ付けない山岳寺院となっている。
阿弥陀堂から南へ伸びる尾根に六角堂跡がある。戦国時代の遺構はこの付近あると思われるが、見当たらなかった。
【案内】 府道4号線「市場」交差点の南約100mの登山口より府道325号線で頂上下まで登れ、終点に有料駐車場が用意されている(1日500円)[マップコード502 278 817*31](地図)。
石段を登った笠置寺本坊(表記番地)にて磨崖仏・行場めぐりの拝観料(300円)が必要である。笠置山自然公園となり、笠置寺毘沙門堂、正月堂、大師堂などの堂宇や磨崖仏などの巨岩が拝観できる。
最高所に「行在所(あんざいしょ)遺址」(本丸)があり、北側の一段下がった所に二の丸跡がある。西側に「貝吹き岩」がある。
昭和七年(1932年)4月19日「笠置山」として、国の史跡・名勝として指定された。
【歴史】 元弘元年(1331年)、八月二十七日鎌倉幕府の倒幕計画が発覚した後醍醐天皇は三種の神器を保持し、笠置山で二千五百にて挙兵、篭城して元弘の乱の発端となった。
鎌倉幕府北条高時方七万五千の大軍と攻防一ヶ月、ついに九月二十八日夜半風雨を味方にした北条方50名の決死隊の奇襲を受け、笠置寺49ヶ寺すべて灰燼に帰したという。10月赤坂城の戦いの後、後醍醐天皇は捕らえられ、隠岐の島に流された。
信仰の対象としての歴史は弥生時代にまで遡るとされ、山中にはかつて修験道の行場であり1300年の歴史をもつ笠置寺がある。桜、紅葉の名所としても有名である
戦国時代の天文年間、畠山義堯が河内を支配するようになり、家臣の木沢長政が河内飯森山城を築き城主となり、山城、大和へ勢力拡大を図り笠置城は木沢長政の持城となった。
天文十一年(1542年)、長政は、三好長慶と河内大平寺にて合戦の末討ち死にした。