井上城 (いのうえじょう)
最寄地 宮崎県延岡市古城町5-6 2016.5.14
井上城 (いのうえじょう)
最寄地 宮崎県延岡市古城町5-6 2016.5.14
登城ルート(緑は出丸)
天守山登り口
3郭跡
2郭跡・仏像群
主郭跡・城跡標柱
土持相模守墓
出丸にある大将軍社本宮ノ地碑
井上城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【案内・感想】 県道225号線に面した表記番地の前に駐車スペースがあり、右手に天守山への登り口がある[マップコード136 828 388*87](地図) 。
登ってゆくと、段々になった平坦地が5段あり、4段目に延岡市産業発展に功績のあった「笠原鷲太郎墓所」が置かれ、5段目に仏像群が祀られている。
主郭跡は天守山緑地となり、稲荷神社、「土持相模守墓」、城跡標柱が建っている。公園の割には草茫々であった。
又、西方の堀切(道路)を挟んだ小山(地図)は出丸跡の一つで「大将軍社本宮ノ地」の石碑が建てられている。
【歴史】 最初に延岡に代が築かれたのは、奈良時代のことで当時延岡地方は吾田、英多(田)、県(あがた)と称し初代の支配者として入封したのは、土持(つちもち)氏であった。
天平年間(730年頃)に今の城山(吾田城)に築城し、領内を支配していたが、貞観元年(859年)勅命により三河国に移封となった。
それから3百余年の後、保元二年(1157年)再び土持氏が県(延岡)に転封となり、それから380余年間の長い間、日向の豪族として勢力をふるって支配した。
永仁五年(1297年)土持国綱の時(一説に治承元年(1177年)土持栄綱の時ともあり)、県城(あがたじょう・城山)を廃して、ここに井上城と称して移り、山城の丘陵を本丸、北、西の丸の三区画に築城し、120余年の間日向国県庄を治めた。
永享元年(1429年)土持全宣(やすのぶ)が西階城に移るまで居城した。『由来文』より。