獅子ヶ城 (ししがじょう) (県の史跡)
最寄地 佐賀県唐津市厳木町浪瀬979 2017.5.12
獅子ヶ城 (ししがじょう) (県の史跡)
最寄地 佐賀県唐津市厳木町浪瀬979 2017.5.12
登城ルート(緑線は車道)
大堀切・出丸
3の丸東石垣
3の丸から見た2の丸の断崖(坂虎口)
2の丸
2の丸石垣
本丸石垣
本丸・城趾碑
獅子ヶ城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高30m】
【感想】 唐津市にある標高207mの白山に築かれ、城の周囲は急な崖となっている。麓との比高差は約110m。石垣がよく残り、堀切など見どころが多い。
2郭は周囲が岩の断崖となり、北側にやっと登れる坂がある。
【案内】 県道32号線の厳木(きゅらぎ) 町浪瀬集落の林道入口に「獅子城跡入口」の石碑が建てられている。
林道を600mほど登ると、三の丸東に駐車用が用意されている[マップコード104 830 041*06]。その東に大堀切があり、出丸となっている。
西の登ると、三の丸で虎口付近に石垣がよく残っている。三の丸の中央に断崖を持った二の丸がある。その西に1、2の曲輪があり、石垣が良好に残っている。井戸曲輪、本丸がその北にある。
【歴史】 治承文治年間(1177~90年)松浦党の峯五郎源披(ひらく)が築城した。有明海と玄界灘の分水界に近く防衛の拠点となったが、息子の源持(たもつ)が平戸に移ったため廃された。
その後、天文年間(1532~55年)頃に松浦党の鶴田前(すすむ)が城主となり復興している。大友氏や龍造寺氏、後藤氏などの勢力の境界に位置し、天文十三年(1544年)には龍造寺氏は攻撃したが失敗し、翌年には5日間占領したものの奪回された。
永禄年間(1558~70年)には波多氏が数回にわたって来攻したが、撃退している。天正五年(1577年)に波多親が上松浦松浦党の首領となると、城主の鶴田賢(かしこ)はこれに服属した。やがて波多氏が追放されると文禄二年(1593年)に後藤氏の家臣となり、城は廃された。