馬越城 (まごしじょう)
最寄地 鹿児島県伊佐市菱刈前目1891 2018.12.11
馬越城 (まごしじょう)
最寄地 鹿児島県伊佐市菱刈前目1891 2018.12.11
登城ルート
入口
階段を登る
主郭・2郭間の空堀
2郭(戻って主郭へ)
主郭
北下段の腰郭
主郭北腰郭西の空堀
馬越城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 伊佐市菱刈前目の比高約30mの山頂に主郭があり、南に空堀を挟んで2郭がある。
フエンスのある最高所の主郭は、日当たりよく草木が伸び放題で先が見えない。この付近に城址碑があるものと思われる。その北に広い腰郭がある。
【案内】 県道53号線に面した勝蓮寺(表記番地)の東側道路に旧民家の入口がある(地図)。
擁壁に沿って南東に行くと、左側に階段がある。あとで他のサイトによると同じ道路の北側約50mにも登り口があることが分かった[マップコード195 032 396*46]。
階段を上ると、竪堀の左側に出、更に登ると主郭、2郭間の空堀に出る。
鬱蒼とした竹林の中で、移動もままならない。主郭の南側は崩落防止のためか、階段状に削られていた。
【歴史】 鎌倉時代、馬越太郎重隆によって築かれたと云われる。 重隆は太良城主・菱刈重妙の長子で、馬越を分知され馬越氏を称した。
永禄十年(1567年)島津氏に背いた菱刈隆秋が馬越城に籠城し、島津貴久の軍勢を迎え撃ったが敗れ、菱刈一族は大口城へ逃れた。
島津氏は馬越城を大口城攻めの拠点として利用した。菱刈氏は肥後の相良氏と結んで島津氏に抵抗したが、永禄十二年(1569年)菱刈隆秋は相良氏の仲介で島津氏に降った。