鶴城 (つるじょう) (田結庄城)(たいのしょうじょう) (市の史跡)
最寄地 兵庫県豊岡市船町1−1 2019.9.20
鶴城 (つるじょう) (田結庄城)(たいのしょうじょう) (市の史跡)
最寄地 兵庫県豊岡市船町1−1 2019.9.20
登城ルート
登り口
4郭・愛宕神社・説明板
3郭・2郭切岸
2郭・主郭切岸
主郭・土塁
北東の堀切
離れた北西の大堀切
鶴城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高100m】
【感想】 六方川が円山川に合流する北側の標高112mの山頂に築かれている。
南北に4つの郭が並び、北西に4段の小郭があり北西端に見事な大堀切がある。北東にも2条の堀切があり竪堀に繋がっている。
【案内】 県道548号線に面した「船町会館」もしくは円山川堤防に駐車できる[マップコード194 789 074*38]。
右の登り口に城址標柱が建てられ「愛宕山参道」を登ってゆくと妙見堂跡がある。
北に少し登ると堀切があり、石段を登ると4郭の愛宕神社に着く。そこに説明板が建てられている。
北に鞍部の3郭があり、2郭、主郭と階段状に並んでいる。北東に堀切、下段に堀切とそれに続く竪堀がある。
北西に4段の郭があり延々と下ると見事な大堀切がある。
【歴史】 南北朝時代から戦国時代にかけて、円山川下流域に勢力を振るい「山名四天王」の一人に数えられた国人・田結庄(たいのしょう)氏の居城であった。
伝承では永享年間(1429~41年)の但馬守護山名宗全により築城されたという。
天正三年(1575年)十月に起った野田合戦で轟城主垣屋豊継に攻められ、城主・田結庄是義は菩提寺の(旧)正福寺で自害した。
その後、天正八年(1580年)羽柴秀吉が但馬平定するまで、豊継の支配するところとなった。