温泉城 (ゆのしろ) (白毫山城)
所在地 兵庫県美方郡新温泉町湯 2019.9.20
温泉城 (ゆのしろ) (白毫山城)
所在地 兵庫県美方郡新温泉町湯 2019.9.20
登城ルート(緑線は車道)
林道入口
駐車場・説明板
北西端の郭
畝状竪堀・主郭切岸
畝状竪堀(右続き)
主郭
東の3郭
3重堀切(東端)
温泉城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【感想】 湯集落の南側、岸田川の支流春来川と稲負谷川(いなごだにがわ)に挟まれた標高338.4mの白毫山に築かれており、城域は東西400m南北200mに及んでいる。
主郭(東西41m南北25m)を中心に東側に2郭、3郭、4郭、段郭があり、北西と南西尾根に段郭が残っている。
4郭東に3重堀切があり、主郭西の4条ほどの畝状竪堀は見応えがある。藪化しており竪堀はほとんど分からなかった。
【案内】 県道103号線より北東に入ったカーブ地点に「歌長生活環境保全林入口」の標柱が建てられた林道入口がある[マップコード365 434 114*12](地図)。
そこより400m程行くと、鞍部に差し掛かる右側に駐車スペースがある。その先もコンクリート舗装された林道があるが、両側から灌木が迫り狭くなっており徒歩の方が良い(途中まで車で行ったが両側を擦り、やっと引き返した)。
林道をさらに400m程登ると駐車場があり、説明板が建てられている。
右側より朽ちた木道があり50m程西に東尾根との分れがある。直進すると、左側の尾根に堀切が見える。
北西尾根手前の木道は失われ、1歩づつやっと行けるが、滑落の危険があり避けた方が良い(東尾根ルートがお薦め)。北西端から折り返すように木道が残っている。
【歴史】 南北朝時代に築かれ、横堀や畝状竪堀などが存在することから戦国時代末期に大改修された城と想定される。
『二方考』によると、城主は南朝軍に与していた奈良左近とされる。延文元年(1356年)に北朝軍の今川義貞が温泉城を攻めている。
天正九年(1581年)に豊臣秀吉の鳥取城攻めの際に落城したと云われている。