新庄山城 (しんじょうやまじょう) (奈良部城)
最寄地 岡山県岡山市東区竹原474 2018.3.4
新庄山城 (しんじょうやまじょう) (奈良部城)
最寄地 岡山県岡山市東区竹原474 2018.3.4
登城ルート
登り口にある城跡碑
虎口
主郭の石鉄神社
説明板
南側
南側尾根
新庄山城 主郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高120m】
【感想】 砂川右岸の標高125mの山頂に築かれている。石鉄神社の建つ主郭には土塁は見当たらず、南へ伸びる尾根を辿ったが堀切らしい痕跡は見つからなかった。
【案内】 県道37号線より西へ砂川を渡って上道公民館に行き、西側の駐車場が利用できる[マップコード151 396 379*68]。
上道公園南の橋を渡った先に登り口があり、左に少し離れて城址碑が建てられている(地図)。鳥居より急な遊歩道を登ると、石鉄神社の建つ主郭に着く。
拝殿に城址標柱と説明板が立て掛けてある。
【歴史】 天文年間(1532~55年)頃、亀山城主中山備中守信正の家臣新庄助之進の居城と伝えられる。
天文十八年(1549年)春、乙子城主宇喜多直家は、砥石城主浮田大和が主君浦上宗景に背いたとし、宗景の軍勢と協力して砥石城を攻め、大和を敗死させた。このときの恩賞として宗景から新庄山城を与えられ、乙子城から移ってきた。
永禄二年(1559年)亀山城主中山信正と砥石城主島村豊後守盛実とが、主君宗景に対し謀反の噂があり、宗景は直家に命じてこれを謀殺させた。この功により直家は亀山城を賜り新庄山城から移った。
新庄山城は家臣に守らせていたが、天正元年(1573年)直家が岡山城主になった後、役目を終え廃城となった。