梶谷城 (かじやじょう) (県の史跡)
所在地 長崎県松浦市今福町東免 2011.10.5 2017.5.12
梶谷城 (かじやじょう) (県の史跡)
所在地 長崎県松浦市今福町東免 2011.10.5 2017.5.12
登城ルート(緑線は車道)
城址碑
副郭・主郭石垣
虎口石段・石垣
主郭・天守台
腰郭・主郭石垣
梶谷城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高30m】
【感想】 玄海灘の福島を望む標高190mの城山の頂上にある。主郭北西に大手門があり、北側に石垣がよく残っている。
【案内】 国道204号線(松浦西九州線今福駅の北北東約300mの)交差点を東に約500m行き「若宮神社」の200m先を右折、600mほど行くと駐車場が用意されている[マップコード458 349 888*72]。駐車場に説明板が建てられている。
そこより200行くと、副郭に着き、鳥瞰図、「梶谷城址」の石碑が建てられている。
北西に虎口石垣、大手門跡があり、広い主郭に天守台が残っている。西麓には石壁を積んだ館跡と思われる遺構がある。
昭和四十九年(1974年)9月14日、長崎県の史跡に指定された。
【歴史】 松浦党(まつらとう)の始祖・源久(ひさし)が今福に下向し、松浦氏を称して築城した。築城年代は、延久元年(1069年)、嘉保二年(1095年)、久安元年(1145年)などの諸説がある。
いずれにしても、松浦党初期の居城として平安時代末期に築かれ、相当長年月にわたって断続的に使用された松浦党の重要な山城であった。
寿永四年(1185年)壇ノ浦での源平合戦、文永十一年(1274年)の文永の役・弘安四年(1281年)の弘安の役と二度にわたる蒙古襲来に松浦水軍は勇猛果敢に戦った。
延元元年(1336年)楠木正成に敗れ九州に遁れ再起をかけた足利尊氏と熊本の菊地氏との多々良浜での合戦に於いて、松浦党は奮戦し足利軍を勝利に導いた。
その後、文禄の役に備えて対馬・壱岐・平戸を結ぶ要衝として秀吉の命により改修された。中世の山城から近世の天守閣様式に移る過渡期のもので、建設当時の遺構が残っている。『松浦市碑文』