船匿城 (ふなかくしじょう)
最寄地 長崎県壱岐市芦辺町箱崎大左右触714‐5 2014.5.3 2020.3.8
船匿城 (ふなかくしじょう)
最寄地 長崎県壱岐市芦辺町箱崎大左右触714‐5 2014.5.3 2020.3.8
登城ルート
少貳資時騎馬像
西側遠景
墓地・地蔵堂へ
居館跡の碑
将軍地蔵堂
藪の中の土塁・墓石
船匿城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高20m】
【案内・感想】 フェリー芦辺発着所に少貳資時の騎馬像が建てられている。
そこより北東に行き、県道23号線との交差点を北に50mほど行く(地図: その付近に駐車)。
徒歩で東に折れ100m行った民家の間のコンクリート道を登るとすぐ、土塁上に「船匿城居館跡」の石碑、西に将軍地蔵堂(表記番地)がある。
地蔵堂には資時をかたどった将軍地蔵が祀られてぃる。主郭跡は竹藪となり土塁の上に墓石があったが、大部分は踏み込めなかった。
【歴史】 少弐経資の子・少貳資時の居館であった。
周辺は弘安四年(1281年)五月の弘安の役の激戦地である。蒙古軍に囲まれ、資時や守備兵は全員討死し、落城した。
その後、日高氏の居城となった。
昭和56年の発掘調査で、おびただしい人骨が埋葬されており、将軍地蔵堂を建立し、供養された。