佐川城 (さかわじょう)
最寄地 高知県高岡郡佐川町甲1460 2018.3.7
佐川城 (さかわじょう)
最寄地 高知県高岡郡佐川町甲1460 2018.3.7
登城ルート(緑線は車道)
物見郭
2の段・奥が詰の段切岸
詰の段・土塁
堀切
主郭(1の段)
主郭南の石垣
佐川城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【感想】 高岡郡佐川町甲の標高200.7mの古城山に築かれている。竪堀や、堀切、石垣などが良く残っている。
北側の中腹は牧野公園となって多数の植物が植えられ、春には花見の名所となっている。
【案内】 青源寺(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード181 574 207*42]。青源寺は深尾氏の菩提寺である。
遊歩道の終点右に物見岩のある郭がある。その南東側に獣除けフエンス扉があり、東側に進むと堀切がある。折り返して西に登ると、2の段がある。
2の段の西に4、5m高く詰があり周囲に土塁が巡らされている。その西に幅の広い堀切があり、細長い主郭(1の段)がある。主郭の西は高くなり櫓台となっている。その西側下段に馬場跡がある。
【歴史】 佐川城築城以前は、南北朝時代、貞治六年(1367年)以来砦として利用されていた。
長宗我部元親の重臣久武内蔵助は、当初、松尾城を居城としたが、城内の水源が乏しく、天正元年(1573年)頃、南東対岸の古城山に佐川城を築いた。
慶長五年(1600年)関ケ原の戦い後、長宗我部氏にかわって山内一豊が土佐へ入国すると、その筆頭家老深尾和泉守重良が城主となった。
元和元年(1615年)徳川幕府の一国一城令により、翌年廃城となった。