堤城 (つつみじょう)
所在地 鳥取県東伯郡北栄町北条島571 2018.8.11
堤城 (つつみじょう)
所在地 鳥取県東伯郡北栄町北条島571 2018.8.11
説明板
橋・民家にある説明板
北条川・南東遠景
堤城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 国道9号線より北条川に沿って南下した北条島の表記番地の塀に説明板が建てられている[マップコード189 803 541*77]。
遺構は消滅し住宅地となっている。「堤城」「城の内」などの地名が残る。
【歴史】 山田氏歴代の居城と伝わる。大永年間、城主山田高直は山名氏に属していたが、大永四年(1524年)、尼子経久による大永の五月崩れにより当城を追われた。
永禄年間(1558~73年)、高直の子、出雲守重直は、吉川氏の助けを得て当城を奪回した。後に山田重直は羽衣石城に居城する南条元続の配下となった。
天正七年(1579年)、南条氏と毛利氏の不和を機に南条氏から離れたことにより、同年九月一日、南条元続率いる800騎に攻められ、重直、信直父子は鹿野城に落ちのびた。
以後、当城は南条氏の支配となったが、慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いで、西軍に付いた南条元忠は敗れ、浪人となった。また山田信直は毛利氏一門の吉川氏の家臣となり周防国岩国に移った。これ以後、堤城は廃城となった。