掘の城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 嵩山城から南東に伸びた丘陵先端部に築かれている。主郭の西半分は農免道敷設で消滅しているが、主郭の東半分と、南東側の2郭や堀切の一部が残っている。
【案内】 「筆の里工房」(安芸郡熊野町中溝5丁目17−1)より農免道を900m程北東方向に進むと、右側に説明板が建てられている[マップコード22 055 364*20](地図)。
【歴史】 『芸藩通史』に、城主は菅田豊後守の居城と伝えられ、天文の兵乱(1550年)頃に毛利元就によって落城し滅ぼされたという。同時に菩提寺の石水寺(光教坊の前身)も焼失した。『光教坊の縁起』
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