丸山城 (まるやまじょう) (地黄古城 )(ぢおうこじょう)
最寄地 大阪府豊能郡能勢町地黄862 2017.3.25
丸山城 (まるやまじょう) (地黄古城 )(ぢおうこじょう)
最寄地 大阪府豊能郡能勢町地黄862 2017.3.25
説明案内板
登城ルート(緑は二の丸/青は天王丸)
二の丸
本丸
腰郭・土塁
堀切・右天王丸
丸山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高40m】
【感想】 国道477号線西の比高約40mの独立丘陵にあり、駐車場北からも登れ、腰郭、土塁が残っている。 近年樹木が伐採されたらしく、見やすくなっていた。北側の竪堀や堀切はよく残っている。
【案内】 国道477号線「地黄」交差点より南へ約500m行くと、小山の東斜面に「丸山城跡」の看板があり、東側に駐車できる[マップコード52 430 674*74]。
大手は民家(表記番地)前を西に行き「城山の石造九重塔」脇にあり、「城山城跡」の碑が建てられている。
三の丸と二の丸は段差がある程度で一体化している。東に帯郭があり、北側の物見櫓の曲輪があり、竪堀、堀切、天王丸と並び堀道が下方に見える。
戻って物見櫓より南に登ると、広い本丸がある。
【歴史】 長元年間(1028~37年)源頼光の子頼国が摂津から丹波へ通じる交通の要衝であるこの地に築城し、能勢氏を称し代々居城とした。
天正六年(1578年)、それまで織田信長に出仕していた有岡城の荒木村重は突然信長に反旗を翻し、有岡城の戦いが起こった。
このとき、丸山城の21代城主であった能勢頼道は、高槻城城主高山右近、茨木城城主中川清秀と同調し、荒木村重に従った。
天正八年(1580年)能勢頼道が謀殺され、落城した。のち、弟能勢頼次が再興し城主となった。
天正十年(1582年)、本能寺の変の際、明智光秀に味方したため、羽柴秀吉軍に攻められ、再び丸山城は落城した。為楽山城にいた能勢頼次は落ち延びた。