善防師城 (ぜんぼうしじょう) (善防山城)
最寄地 兵庫県加西市両月町484−2 2019.4.12
善防師城 (ぜんぼうしじょう) (善防山城)
最寄地 兵庫県加西市両月町484−2 2019.4.12
登城ルート
切通し南の登り口
尾根道・山頂遠景
主郭
縄張り図
北側の1、2段
主郭南東の郭
東端の郭・石垣
善防師城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【感想】 標高251mの善防山頂上に主郭があり、南尾根に岩のある郭、北尾根に3段の郭、東尾根に2ヶ所小郭がある。目立った堀切はほとんど見られなかった。
善防山は岩を主体とした山で大きな木は少なく、尾根道もはっきりしており、見晴らしは良好であった。
【案内】 県道81号線「市立善防中学校」(表記番地)西より「古法華寺」(加西市西長町1096)に向かう。
750m程行くと峠の細い切通しがありその南にハイキングコース入口がある[マップコード24 474 218*64](地図)。その先に駐車スペースがある。
そこから登って、吊り橋の反対側(南東)へ尾根道を歩く。南南西尾根に岩のある小郭がある。
頂上に主郭があり、説明板、縄張り図が建てられている。帯郭が廻り、東尾根の中間と東端に石積のある郭がある。主郭北側に段郭があり広い3段の郭が残っている。
【歴史】 南北朝時代の貞和二年(1346年)備前・播磨・摂津の守護赤松氏2代範資によって築城された。
嘉吉の乱(1441年)で将軍足利義教の暗殺に成功した赤松満祐は敵の追撃も受けず悠々と播磨に戻った。
その後赤松満祐は山名勢の追討を受けて城山城に籠城し、自刃(満祐69歳、他64名)赤松氏は没落した。満祐の弟善防師城主則繁は合戦時但馬口で山名軍と対峙しており、善防師城はあっけなく山名勢の前に陥落した。
嘉吉の乱後、播磨は山名氏の支配下となったが、続く応仁の乱(1467~77年)満祐の遺児赤松政則は細川氏に味方し宿敵山名氏を破り、長享二年(1488年)赤松氏再興を成し遂げた。