亀山城 (かめやまじょう) (湯川城・丸山城)
最寄地 和歌山県御坊市湯川町丸山625 2018.7.14
亀山城 (かめやまじょう) (湯川城・丸山城)
最寄地 和歌山県御坊市湯川町丸山625 2018.7.14
登城ルート(緑線は車道)
主郭2・南側虎口
西側虎口
亀山城址碑
主郭1・土塁
北東腰郭
亀山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高120m 】
【感想】 御坊市湯川町の標高120mの亀山に築かれている。城跡は津波避難場所になり登城路は緩やかで舗装されて歩きやすい。
南北2段になった主郭には、高土塁がめぐり、城址碑が建てられている。主郭の北と南に腰郭があり、保存状態は良い。
【案内】 国道42号線より紀勢本線を渡って行った「丸山中央集会所」(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード302 558 643*07]。ゴミ置き場横に「亀山城址」の石碑が建てられている。
北50mに津波避難場所の道標があり右へ、130m先の三明寺前を経て道標に従って約600mの避難路を登ってゆくと、南側虎口に着く。
南北2段になった主郭には、土塁がめぐり、城址碑が建てられている。主郭の南と西に虎口があり、周囲に土塁がよく残っている。主郭の北と南下段に腰郭がある。
平成二十八年(2016年)3月15日、和歌山県の史跡に指定された。
山麓の南東、湯川中学校が居館(小松原館)跡である。
【歴史】 築城年代は定かではないが、室町時代初期、日高地方に進出した湯川光春によって築かれたと云われる。その後、湯川氏代々の居城として使われた。
天文十八年(1549年)11代直光は、平時の居館・小松原館を築き、北方の有田地方まで勢力を伸ばした。
天正十三年(1585年)羽柴秀吉の紀州征伐の際、湯川直春は娘婿の手取城主玉置直和に対して秀吉と対決することを薦めたが、玉置直和は秀吉方に与した。
そのため直春は手取城を攻め焼き払った。その後、これを知った秀吉の大軍に攻められた湯川氏は城を焼き払って退去した。
翌、天正十四年(1586年)湯川直春は龍松山城主山本康忠と共に、羽柴秀長の居城である大和郡山城を訪れ和議を結んだ帰路、謀殺された。