石城山神籠石 (いわきさんこうごいし) (国の史跡)
最寄地 山口県光市塩田2585−1 2014.9.3
石城山神籠石 (いわきさんこうごいし) (国の史跡)
最寄地 山口県光市塩田2585−1 2014.9.3
案内図
北門列石
北水門石垣
東水門石垣
西水門石垣
南水門石垣
【遺構★★★★☆ 比高50m】
【感想】 鶴ヶ峯(標高350.1m)と石城山(標高362m)を取り込み、各水門を結ぶ列石線の総延長は2533mに及ぶ。
標高362mの石城山を一周する遊歩道(1400mほど)の要所要所に標識があり、水門の高石垣や列石がよく残っている。
【案内】 県道160号線の「三国志城」(表記番地)前を東に行き石城山を回り込むように約3.8km登り詰めた終点に駐車場が用意され、案内図が建てられている[マップコード115 214 831*25](地図)。
北に約300m比高差約50m下ると、北門の列石遺構があり、やや離れて門礎石一つがある。
西に250mほど行くと「北水門」(地図)があり、更に西に250mほど行くと「西水門」(地図)がある。北門より東に350mほど行くと「東水門」(地図)がある。
途中土塁の土止め用「列石」「石垣」が大規模に見られる。「南水門」(地図)は駐車場より県道160号線2を00mほど戻った所より70m下った沢にあり、小規模である。
明治四十二年秋、当時の熊毛郡視学・西原為吉氏(福岡県出身)によって発表され、それまで九州にしか存在しないとされていた神籠石が本州でも発見され考古学界の注目するところとなった。
昭和十年(1955年)6月7日、国の史跡に指定された。
【歴史】 663年(天智天皇二年)の白村江(はくすきのえ)の戦いに倭国が敗れた後、唐・新羅の侵攻に備え築城したと考えられている。
『日本書紀』などには西日本の要所に大野城など十二の古代山城を築いたと記されている。
古代山城(十二城)に該当しないは神籠石(こうごいし)式山城と呼ばれる(十六城発見されている)。