松崎城 (まつざきじょう)
最寄地 福岡県小郡市松崎650 2020.9.20
松崎城 (まつざきじょう)
最寄地 福岡県小郡市松崎650 2020.9.20
説明板
三井高校西側
説明板
城跡碑
松崎天満神社
松崎城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 小郡市松崎にあり、有馬豊範が14年間居住した短命の城であった。
県立三井高等学校が本丸で、北側を東西に伸びる道路が桜馬場である。
北西の天満神社手前に有馬豊範が勧請した倉稲魂神社(稲荷神社)が祀られており、桜馬場との間に土堤が見られる。
【案内】 県立三井高等学校(表記番地)の北東道路に面して説明板が建てられている[マップコード37 835 123*87]。
道路反対側に城跡碑がある。
【歴史】 有馬家2代藩主忠頼には子がなく、出石藩主小出吉重に嫁いだ妹の子・豊範を後嗣として江戸幕府に届け出た。
しかし、その後忠頼には頼利、頼元等の男子が生まれ、寛文八年(1668年)忠頼が没すると、頼利が当主を継ぎ豊範には1万石を与え松崎に分家させた。寛文十一年(1671年)豊範は松崎城を築き、京都伏見より倉稲魂(うがのみたま)神社を勧請し、桜馬場に土堤を築き山桜を植えた。
貞享元年(1684年)豊範は姉婿奥州窪田藩主土方雄隆方のお家騒動に巻き込まれて、幕府の怒りに触れ、領地没収の上久留米藩に押し込められ、元禄十三年(1700年)篠山城内(篠山小学校)で没した。
松崎は天領となり貞享二年(1685年)江戸より代官服部六左衛門が来て、城は破壊され、跡地に松が植えられた。