笠岡城 (かさおかじょう)
最寄地 岡山県笠岡市笠岡2369‐1 2014.9.3
笠岡城 (かさおかじょう)
最寄地 岡山県笠岡市笠岡2369‐1 2014.9.3
説明板
東側の招魂社
西側の展望台地
古城山碑
笠岡城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 城山の周囲は海で囲まれていたため、明治四十年(1907年)、新田埋め立てのため切り下げられ、笠岡城の遺構は消滅した。その後、昭和三十一年(1956年)に笠岡古城山公園として整備され、市民や観光客に親しまれている。
【案内】 県道60号線交差点より山陽本線踏切を渡り「笠岡シーサイドモール」(表記番地)東の一方通行道路より[マップコード465 886 782*84]、 500mほど登って行くと、頂上に古城山公園駐車場がある。
北東側に招魂社が祀られ北に「開拓碑」があり中央は広場となっている。南西に展望台地があり頂上にテーブルと腰掛けが設けられ、少し西に下がったところに池、「古城山」の石碑が建てられている。
その南西に滑り台、ブランコなどのある公園となり、展望台が設けられている。西側の斜面に石垣の一部が残っている。
【歴史】 弘治年間(1555~58年)に村上隆重が瀬戸内における能島村上家(宗家)の要害として築いた。
その後、子の村上景広、毛利元康が城主となり、慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦い以後は、徳川家康の所領となって小堀正次(別名新助・遠州の父・所領は備中松山1万4千石)が代官として置かれた。
元和二年(1616年)には池田備中守長幸が城主となったが、元和五年(1619年)備中松山藩(初代)への転封に伴い廃城となった。