千石堀城 (せんごくぼりじょう)
最寄地 大阪府貝塚市名越1087−5 2022.3.17
千石堀城 (せんごくぼりじょう)
最寄地 大阪府貝塚市名越1087−5 2022.3.17
駐車場・入口
縄張り図
北東側外空堀
北側内空堀
主郭
北側の堀・切岸
千石堀城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 貝塚市橋本にある比高20mほどの台地に築かれている。主郭の北側に内空堀が残り、少し離れて外空堀がよく残っている。
外空堀から北西に歩くと、施錠されたゲートのある道に至る。
【案内】 府道239号線の「貝塚こすもすの里」(表記番地)東に「せんごくの杜」駐車場が用意されており、南に遊歩道入口がある[マップコード35 899 652*21](地図)。
谷間を100mほど南西に行くと、右に入口があり、樹木に縄張り図が掲示され、その先に外空堀がある。空堀を50mほど歩き左斜めに登り、反時計回りに行くと主郭に着く。
【歴史】 元亀元年(1573年)から始まる「石山合戦」で石山本願寺と織田信長が戦った際、根来寺の支城として和泉国に5ヶ所もしくは7ヶ所の城を築き、そのうちの一つといわれる。
天正十三年(1585)年、羽柴秀吉による「紀州征伐」では最初の攻撃目標となり、大谷左大仁法印を大将として千数百人が籠城したが、豊臣秀次を大将として、筒井順慶・堀秀政・大谷吉継らに攻められ二の丸にいた城兵300余が討たれた。
本丸を攻めあぐねていたとき、筒井順慶隊が放った火矢により城内の火薬が誘引爆発し、本丸の混乱に乗じて豊臣秀次軍が攻め、根来衆は討ち取られた。