戸波城 (へわじょう) (伊乃保幾城・井野吹城・井ノ場城・松風城)
最寄地 高知県土佐市岩戸889 2018.3.7
戸波城 (へわじょう) (伊乃保幾城・井野吹城・井ノ場城・松風城)
最寄地 高知県土佐市岩戸889 2018.3.7
登城ルート
県道横の城址碑
登り口・石垣に沿い左へ
東の横堀
主郭
西の郭の切岸(西2番目の郭から見る)
戸波城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【感想】 波介(はげ)川とその支流に挟まれた標高約109mの独立丘陵に築かれおり、最高所の主郭を中心に東と西に2つづつ郭を配置してある。堀切、横堀が残っている。
当初、登り口が判らず、住民に何とか教えてもらったが、放置され藪状態だといわれた。登ってみると確かに、竹林で鬱蒼として倒竹などに進路を阻まれ視界の開けた所を撮影できた。全部回り切れていないので、ほかにも遺構が在るのかも知れない。
【案内】 県道287号線のJAの道路向かいに「戸波城址」の石碑と案内板が建てられている[マップコード181 464 838*25](地図)。
県道287号線の旧道の「岩戸橋」付近に駐車し、橋の北側約100mに人一人通れる道があり石垣に沿って左に行った所から登る[マップコード181 495 315*22](地図)。
民家の裏を登ってゆくと、祠があり更に進むとみかん畑に出る。畑の右の尾根に入り直登すると、北東側の堀切付近に出る。
堀切の西に2つの郭があり、2つ目に土塁が残っている、その先に横堀がある。横堀の上段が主郭で、細長く竹林となっている。その西に二つの郭がある。
【歴史】 詳細は定かでないが、初め津野内蔵左が居城し後に中村城主一条氏に攻略され、家臣福井玄蕃が城代となった。
永正十四年(1517年)津野元実が奪還を図り山裏の江良沼の合戦で討死し全滅した。
元亀元年(1570年)吉良左京進親貞は一条軍を追い長宗我部右兵衛親武が城主となり、戸波氏を名乗った。
その子右衛門尉親清の時、関ヶ原の戦いの後、長宗我部氏の改易に伴い廃城となった。『石碑由来文』より。