浜田城 (はまだじょう) (亀山城) (県の史跡)
所在地 島根県浜田市殿町123‐10 2013.10.13 2015.5.15
浜田城 (はまだじょう) (亀山城) (県の史跡)
所在地 島根県浜田市殿町123‐10 2013.10.13 2015.5.15
城山公園・護国神社
津和野城門
三の丸石垣・石段
本丸・3重櫓跡
本丸跡・虎口
二の丸・本丸石段
二の門跡
浜田城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高30m】
【案内・感想】 浜田川の東、国道9号線より登った「城山公園」となっており、比高30mの平坦地に駐車場がある[マップコード241 219 700*77]。
濵田護國神社(表記番地)、NHK浜田放送局があり、木口小平像、島村抱月碑、大達茂雄像、戦没者慰霊碑等が建てられている。「柿本人麻呂終焉の地」の由来看板がある。
北側の登城口に、昭和四十二年(1967年)浜田県庁正門(津和野城門)が移築され、三の丸石垣石段が残り、二の門跡の上に狭い二の丸跡(地図)がある。
石段を登ると広い標高68m比高約30mの本丸跡があり、南西隅に3重櫓跡の礎石が残る。その先に降ると、出丸があり、石段が残り、三の丸石段につながっている。国道を挟んだ南は夕日ノ丸である。
昭和三十七年(1962年)6月12日、島根県の史跡に指定された。
【歴史】 元和五年(1619年)古田重冶が大阪夏の陣の功績により、松坂城より5万4千石を与えられ初代藩主となり、翌年2月より築城を開始し元和九年(1623年)九月に城下と城郭が完成した。
慶安元年(1648年)2代重恒が、お家騒動(吉田騒動)を起こし改易となった。
慶安二年(1649年) 松井松平周防守康映が5万石で入封し、5代にわたって在封した(111年間)。
宝暦九年(1759年)松平周防守家5代康福(やすよし)が、下総国古河藩(古河城)に転封された。代って、本田忠敝が5万石で入封した。
明和六年(1769年)本多家三代忠粛が三河国岡崎城に転封され(11年)、同地より松平(松井)康福が再び55万4百石で入封した。
天保七年(1836年)松平周防守家三代・康任(やすとう)の時、清・朝鮮との密貿易(竹島事件)が発覚し、康任は隠居し、四代・康爵は陸奥国棚倉藩へ転封となった。
上野国館林藩より越智松平右近将監斉厚(なりあつ)が6万1千石で入封した。松平右近将監家四代(31年)が続き、慶応二年(1866年)七月に第二次長州征伐で長州藩の大村益次郎が進軍すると、藩主・四代松平武聡は戦わずして逃走した。
この際に、敗残の兵が浜田城、浜田の街に放火し、灰燼に帰した。