富長城 (とみながじょう) (町の史跡)
所在地 鳥取県西伯郡大山町富長824−1 2022.10.13
富長城 (とみながじょう) (町の史跡)
所在地 鳥取県西伯郡大山町富長824−1 2022.10.13
東側鳥居横の標柱
東側空堀
富長神社
南西側高土塁
西側虎口
西側堀切
富長城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 富永城は東西に細長い広い敷地で、現在「富長神社」境内となっている。
周囲に高土塁を巡らせ、東側に深い空堀を設け、西側に虎口、堀切がよく残っている。
【案内】 国道9号線より「富長神社」(表記番地)に向かう。
東側の鳥居前は狭く駐車できないが、西側の虎口付近に駐車できる[マップコード252 882 489*80]。虎口西の台地は鬱蒼としているが2郭となっている。
昭和57年11月19日、大山町の史跡に指定されている。
【歴史】 元弘年間(1331~34年)頃には名和氏家臣・荒松兵庫が居城していた。
その後、戦国時代には福頼周辺(米子市淀江町)を拠点とする福頼左衛門尉が居城し、大永四年(1524年)に尼子の伯耆攻めで落とされたと伝えられている。『大山町ホームページ』より。