鶴ヶ城 (つるがじょう) (増賀城) (市の史跡)
最寄地 和歌山県田辺市竜神村東528 2018.7.13
鶴ヶ城 (つるがじょう) (増賀城) (市の史跡)
最寄地 和歌山県田辺市竜神村東528 2018.7.13
登城ルート
小学校西側尾根先から登る
浅い堀切・土橋
南中段の郭
南上段の郭
主郭
北の腰郭
鶴ヶ城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高180m】
【感想】 日高川左岸の標高524mの山頂に築かれている。
主郭は東西に細長く30m×15mほどの広さがあり、北西に1段南に1段の腰郭があり、更に南に少し下がって2段の郭がある。北の腰郭の更に下に片石垣の堀切があるらしいが、見落してしまった。
【案内】 国道371号線の日高川に架かる橋を渡ってすぐ左の坂道を登った上山路小学校(表記番地)の西側の空き地の尾根西端から登る[マップコード184 809 519*16](地図)。
初め登り口が判らず、学校の先生に教えてもらった。北に校舎を見下ろしながら登ってゆくと、200mほどで前山の頂上に着く。そこより下り鞍部より再び登る。
尾根道を北に行くと、浅い堀切・土橋がありそこより頂上を目指す。
マーキングはほとんどなく、帰りは降り口を覚えておくとよい。鞍部への降り口が判らなくなり行きすぎて谷に下りてしまった。後ろに鞍部が見えたが、引き返して登るのを諦め、池の右側に山道があり、そこを下ると写真の登り口に出た。
平成十一年(1999年)3月16日、龍神村の史跡に指定された。平成十七年、田辺市に合併。
【歴史】 南北朝時代、元弘三年(1333年)玉置下野守直虎によって築城された。直虎の死後は子の玉置上野が受け継ぎ、代々居城とした。
玉置氏は紀伊国日高地方に勢力を持ち、直虎は北朝方に属して戦功を上げ、日高郡山地荘を賜り、鶴ヶ城を築いて居城とした。
玉置氏には手取城を居城とした和佐玉置氏と並んで、こちらは山地玉置氏と称された。
天正十三年(1585年)11代玉置惣左衛門太夫の時、豊臣秀吉の紀州攻めで落城し、廃城になった。