青地城 (あおちじょう)
所在地 滋賀県草津市青地町827 2016.12.25
青地城 (あおちじょう)
所在地 滋賀県草津市青地町827 2016.12.25
池堤防・説明板
志津小学校南側土塁
青地城主之碑
南側空堀
青地城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 県道横の池は堀跡と思われる。志津小学校の南端には、長さ約50m、高さ3~4mの土塁が残っている。その下に深さ5m以上の空堀が残っている。
【案内】 県道2号線南の市立志津小学校(表記番地)敷地となっている。北の県道バス停向いの池の堤防に説明板が建てられている。
また小学校西側の階段を上った南にフエンスで区画され、説明板、「青地城主之碑」の石塔、「青地城山碑」石碑が建てられ、土塁が残っている。その南に、空堀がよく残っている(一旦西側道路に下りて南に行く)。
南の小槻神社一帯も城跡である。
【歴史】 青地城は、鎌倉時代から室町時代にかけて青地庄を治めた青地氏の居城であった。
鎌倉時代、近江守護・佐々木定綱の孫基綱(馬淵広定の子)が青地氏の養子となり、その子忠綱が青地城を築き、近江源氏七騎の一人となった。その後、六角氏の有力家臣となった。
天正元年(1573年)、織田信長の佐々木六角氏討伐時には、多年の六角氏への恩義のため信長に付かず、青地城を去った。その後青地城は廃城となった。