三木城 (みきじょう) (釜山城・別所城) (国の史跡)
所在地 兵庫県三木市上の丸町5 2013.10.6 2014.5.1
三木城 (みきじょう) (釜山城・別所城) (国の史跡)
所在地 兵庫県三木市上の丸町5 2013.10.6 2014.5.1
本丸跡
土塀
本丸・天守台
別所長治公像
別所長治辞世の碑
別所長治公・照子夫人首塚
三木城本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 美嚢(みのう)川の南、神戸電鉄粟生線の「三木上の丸駅」の南高台にあり、本丸東まで車で行ける[マップコード31 763 567*67] 。
本丸(上の丸)は比高約20mの切崖に囲まれ、南側と北側に空堀が設けられている。
公園となっている本丸跡には矢倉の跡の天守台があり、本丸広場の西に「三木合戦図」、「別所長治公像」の騎馬像や長治公辞世の碑「今はたゝうらみもあらし諸人乃以能ちにかはる我身と於もへハ」が建てられている。
北に模擬築地塀や「かんかん井戸」がある。南東側に稲荷神社や市立金物資料館(上の丸町5−43)、保育所が建てられている。
南側の二の丸跡には図書館、美術館がある。また約200m南側にある雲龍寺(三木市上の丸町9−4) には「別所長治公・照子夫人首塚」が祀られており、命日に毎年法要が行われている。
平成二十五年(2013年)3月27日、国の史跡に指定された。
【歴史】 築城は室町時代の明応元年(1492年)前後ではないかと推定され、別所則治により築かれ、別所氏の居城であった。
天文七~八年(1538~39年)に山陰の戦国大名尼子詮久(晴久)に、天文二十三年(1554年)三好長逸や三田の有馬氏に攻められたが、持ちこたえ落城を免れた。
天正六年(1578年)5代城主・別所長治のとき、羽柴秀吉の軍に包囲され、1年8ヶ月に及ぶ兵糧攻めに遭い、天正八年(1580年)一月十七日城主一族は城兵の命を救うため自刃し、三木城を開城した。
その後秀吉はじめ家臣の杉原氏・中川氏などが城主を入れ替わった。
江戸時代になって元和二年(1616年)小笠原忠真を藩主とする明石藩に編入され、幕府による一国一城令により元和三年(1617年)に廃城となった。この時三木城の資材は明石城の建築部材に使用されたと言われている。