音羽城 (おとわじょう)
所在地 滋賀県蒲生郡日野町音羽 2017.1.13
音羽城 (おとわじょう)
所在地 滋賀県蒲生郡日野町音羽 2017.1.13
説明板
登城ルート
城址碑
北出曲輪西の堀切
本丸跡
本丸東の空堀
井戸
南出曲輪・土塁・櫓台
音羽城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 日野川左岸の比高約40mの丘陵にあり、広い本丸、2郭には遺構は少ないが、南曲輪一帯に土塁、井戸がよく残り、東から南にかけて空堀が残っている。
【案内】 県道182号線を、日野川を渡って南に500m行き、東に入ると駐車スペースがある[213 874 406*24]。
舗装道を登ると、城址碑が建てられ、その左に下った北出曲輪に阿賀神社が建てられている。堀切、土塁が残っている。
本丸、2郭は削平され児童公園となっている。東側には空堀が残っている。
南に土塁、井戸が残り、更に南に小郭を挟んで南出曲輪があり、土塁・櫓台が残っている。更に南に行くと抜け穴跡がある。
【歴史】 室町時代末、蒲生氏によって築かれた。蒲生秀綱の時、或いは貞秀の時と伝えられている。
明応五年(1496年)と文亀二年(1502年)敵を迎え撃って大勝した。
大永二年(1522年)から翌年にかけて起きた蒲生家同族間の争いには、若き当主秀紀を中心とする500の兵が8ヶ月に及ぶ籠城の末、大永三年(1523年)三月開城した。
直ちに寄せ手蒲生髙郷の援軍佐々木勢によって城は取り壊された。以後中野城へ移り、廃城となった。