撫養城 (むやじょう) (岡崎城・林崎城)
所在地 徳島県鳴門市撫養町林崎北殿町149 2014.5.17
撫養城 (むやじょう) (岡崎城・林崎城)
所在地 徳島県鳴門市撫養町林崎北殿町149 2014.5.17
登城ルート(緑線は車道)
妙見神社
妙見神社裏の石垣
神社裏の石垣
三重模擬天守
撫養城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【案内・感想】 鳴門海峡を望む妙見山公園となっており、駐車場が用意されている[マップコード56 659 049*52] (地図)。
比高30m標高61.4mの妙見山頂上の妙見神社社殿の裏に石垣が良好に残っている。
本丸には模擬天守の鳥居記念博物館(表記番地)があるが現在は閉館され、平成二十二年徳島市八万町の文化の森総合公園内に「鳥居龍蔵記念博物館」が開館されている。
駐車場の東に「ガレの森美術館・空海美術館」がある。
【歴史】 築城は、古くは小笠原氏の居城と伝えられるが、はっきりとはわかっていない。
後、三好氏の配下の四宮氏が城主となったが、天正十年(1582年)、長宗我部元親が阿波国へ侵入し、撫養城を長宗我部元親の配下である真下飛騨守が守備した。
天正十三年(1585年)、四国征伐により蜂須賀家政が阿波国の新領主となり、徳島城の支城を九城置き(阿波九城)、益田正忠を撫養城の城番とした。
徳川幕府の一国一城令により、寛永十五年(1638年)、廃城となった。