桐山城 (きりやまじょう) (木井ノ山城・磯部ノ城)
最寄地 鳥取県岩美郡岩美町浦富3187 2018.8.10
桐山城 (きりやまじょう) (木井ノ山城・磯部ノ城)
最寄地 鳥取県岩美郡岩美町浦富3187 2018.8.10
登城ルート
登り口階段
いわし山説明板・堀切
虎口
北側の平坦地
南の平坦地・標識の板
垣屋八幡宮
桐山城 主郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高200m】
【感想】 岩美町浦富の標高202.4mの山頂に築かれている。道竹城の北西約1.7kmに位置している。
草木に埋もれはっきりしないが、北側が高く櫓台と思われ、少し下がって南側に細長い郭がある。堀切や竪堀などは、草木で見当たらなかった。
【案内】 県道155号線の浦富海岸海水浴場西の表記番地横の通行規制区間標識と電柱間に「いわし山」の登り口がある[マップコード 960 008 498*55](地図)。
木製階段よりジグザグに登り尾根に出、蜘蛛の巣を払いながら登ってゆく。「いわし山」の説明板があり、左側に深い堀切が見える。階段を上って「いわし山」分岐を過ぎ、5号目の奥市登山口との分岐点のピークに着く。
「桐山城跡まで20分」の標識があり、延々と登ってゆくと虎口があり城跡に着く。
北の最高所に三角点があり少し下がって、細長い郭が南へ伸びている。南側の立ち木に桐山城跡の木板が括りつけられている。
定善寺(岩美町浦富1507)斜め向かいの民家の前に垣屋八幡宮があり、垣屋光成の墓と伝えられる五輪塔がある(五輪塔は桧皮葺の小祠に安置され、瓦葺の神社建物で囲って保存されている。直接見られない)。
【歴史】 『因幡志』によると、塩冶高貞による築城とされており、それに従えば南北朝期以前の築城ということになる。
天正年間に尼子氏再興を期す山中幸盛が砦を築いた。
天正九年(1581年)の羽柴秀吉による鳥取城攻略の後は、但馬水軍を率いて早くから秀吉に協力した垣屋光成が城主となり、因幡岩井郡(巨濃郡)1万石を領した。
慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いに際して、2代城主の垣屋恒総は西軍に属して改易され、桐山城は廃城となる。
元和三年(1617年)に鳥取城に入った池田光政は、浦富に家老の池田政虎を配した。
寛永九年(1632年)に池田光政との国替えで鳥取城に入った池田光仲は、浦富に家老の鵜殿氏を配し、桐山城下の垣屋氏居館跡に陣屋を構築した。以降、幕末まで浦富は鵜殿氏による支配が続いた。