石城 (せきじょう) (市の史跡)
所在地 愛媛県宇和島市吉田町立間/立間尻/沖村 2021.3.8
石城 (せきじょう) (市の史跡)
所在地 愛媛県宇和島市吉田町立間/立間尻/沖村 2021.3.8
登城ルート
舗装道終点
主郭石垣
主郭・土塁
空堀
東側断崖・平坦地
石城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【感想】 立間川と河内川に挟まれた標高121.5mの御殿山に築かれている。2郭北の堀切や主郭の石垣、土塁が残っている。主郭は意外と狭く、東側に採石跡のような平坦地がある。
【案内】 国道56号線「立間」交差点より県道272号線を西に行き、喜佐方トンネルを出た左側が広く駐車できる[マップコード176 424 468*35]。
車でも行けるが駐車スペースが少なく徒歩で登った。蜜柑畑の中を幅2m弱の舗装道が城跡北側まで通じている(約1.5km)。
終点から右に登り南に行くと、3郭の石積みや薮化した2郭の浅い堀切があり、その南に石垣のある主郭がある。主郭は狭く南側に土塁や竪堀があり三角点が置かれている。東側下段に腰郭がある。
昭和四十九年(1974年)3月1日に当時の吉田町により史跡に指定された。
【歴史】 当初、黒瀬城の出城として築かれ、後に法華津本城の枝城となっていたが、天文十五年(1546年)に西園寺実充の要請により、大森城主・土居清宗が一族を率いて石城に移り、城の大改修を行った。
同年、土居清宗は豊後大友宗麟による幾度の襲撃を退けたが、永禄三年(1560年)十月六日に再度大友氏に攻められ落城し、土居清宗・清貞父子は自刃した。
永禄九年(1566年)、土居清宗の孫土居清良が再度この地を領することになり、翌年に城を修築して土居似水を城代とした。
永禄十一年(1568年)、再度、大友勢によって攻められるが石城は落ちず、大友勢は退去している。