駿河丸城 (するがまるじょう) (間所城・平家丸城) (国の史跡)
最寄地 広島県山県郡北広島町大朝588 2019.5.11
駿河丸城 (するがまるじょう) (間所城・平家丸城) (国の史跡)
最寄地 広島県山県郡北広島町大朝588 2019.5.11
登城ルート(緑線は車道)
主郭南側切岸
主郭
主郭北東の空堀
2郭東の空堀
2郭東の空堀
東郭南の堀切
東郭北の土橋・堀切
駿河丸城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高30m】
【感想】 北広島町大朝の寒曳山より南に伸びた比高30m程の2つの丘陵先端に築かれている。
主郭の西から北にかけて空堀がよく残り、北に堀切で隔てられた細長く曲がった2郭があり、東から北にかけて空堀が見られる。
東丘陵にも墓地の背後に、堀切に挟まれた郭があり、土橋横堀などがよく残っている。
【案内】 県道5号線田圃の間の道を北に行った表記番地西に説明板が建てられ、そこにバックで1台駐車できる[322 670 802*28](地図)。
説明板から登ってゆくと、すぐに空堀に着き、右に土塁のある主郭がある。
堀切・空堀で隔てて北に細長い2郭がある。その東側に、空堀が伸びている。
また、東側の尾根に郭があり南側と北側に堀切があり、横堀につながっている。北側に土橋も見られる。
昭和六十一年(1986年)8月28日、吉川氏城館跡として、小倉山城跡・日野山城跡・吉川元春館跡とともに国の史跡に指定された。
【歴史】 鎌倉時代末期の正和二年(1313年)、吉川経高が一族郎党を連れて、駿河国から所領の一つである安芸国大朝に下向して、本拠として築いた。
南北朝時代末期、吉川経見が東約3kmに小倉山城を築き居城とするまで、約70年の間、安芸吉川氏の本拠となった。