綾城 (あやじょう) (竜尾城)
最寄地 宮崎県東諸県郡綾町北俣2599 2016.5.15
綾城 (あやじょう) (竜尾城)
最寄地 宮崎県東諸県郡綾町北俣2599 2016.5.15
三の丸冠木門
二の丸空堀
二の丸門
綾陽校記念館
本丸空堀の橋
模擬天守
綾城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道360号線号線「綾町役場前」交差点より北に約400m行き、左折500m行くと表記番地先に「綾・国際クラフトの城」駐車場が用意されている[マップコード600 014 087*34](地図)。
駐車場より跨道橋を渡ってゆくと、冠木門があり、入場券売り場(有料大人350円)が三の丸跡にある。空堀を挟んで二の丸跡に綾陽校が移築され、民族資料保存展示されている。また陶芸体験館が建てられ、工芸品展示販売が行われている。井戸が残っている。
更に東に空堀を挟んで東に本丸跡があり、模擬天守が建てられている。日本城郭協会監修の戦国時代初期の城楼建造物である。
【歴史】 元弘年間(1331~34年)足利尊氏の家臣・細川小四郎義門がこの地に下向を命じられ、その子、細川義遠は収納使として綾を領有し、綾氏を名乗り、居館(山城)を構えた。綾氏は数代この城にて綾を支配した。
その後、8代将軍足利義政のころ伊東氏の配下に入り、綾城は伊東四十八城の一つとして伊東氏の支城となった。
天正五年(1577年)に伊東氏が伊東崩れと呼ばれる家臣の多数離反と島津氏の攻撃を受けた際、最後まで伊東氏につき、落城した。
伊東氏滅亡後は島津氏の支城となった。慶長二十年(1615年)の江戸幕府の一国一城令により、綾城は廃城となり、島津氏の地頭が置かれた。