春日山城 (かすがやまじょう)
最寄地 兵庫県神崎郡福崎町八千種4238 2019.10.26
春日山城 (かすがやまじょう)
最寄地 兵庫県神崎郡福崎町八千種4238 2019.10.26
登城ルート(緑線は車道)
登り口・説明板
尾根を右(南)へ
帯郭
主郭・説明板
説明板
春日山城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高100m】
【感想】 福崎町八千種の標高197.8mの飯盛山に築かれている。20m四方ほどの主郭には、貯蔵庫跡の穴があり、主郭の周囲に帯郭を巡らせた簡単な構造となっている。
帯郭部分は草が伸び放題ではっきりしなかった。
【案内】 鍛冶屋熊野神社(表記番地)東の西邦寺前に説明板があり、そこから登る[マップコード24 619 811*08](地図)。
東に登り、尾根を右(南)へ登ってゆくと、帯郭横に出、その上段に主郭がある。
【歴史】 建武年間(1334~36年)に築城され、播磨の守護赤松氏の幕下であった後藤三郎左衛門尉基明が初代城主として、現在の福崎町全域と姫路市、加西市の一部を統治していた。
応仁の乱(1467~78年)には、赤松政則の部下として出陣し、山名氏の軍勢を破って軍功を立てた。
天正六年(1578年)9代後藤伊勢守基信の時に、羽柴秀吉の播磨攻略の際に攻められ、基信は自刃し落城した。後に大阪の陣で活躍した後藤又兵衛基次は播磨後藤氏の一族であった。