鞍掛山城 (くらかけやまじょう)
最寄地 山口県岩国市玖珂町6295 2016.5.18
鞍掛山城 (くらかけやまじょう)
最寄地 山口県岩国市玖珂町6295 2016.5.18
登城ルート
登山道入口
登り口
2郭の古戦場鞍懸城址碑
主郭虎口
主郭跡・展望台
鞍掛戦死者之碑
鞍掛山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高160m】
【感想】 標高240mの鞍掛山に築かれており、大内氏方の杉氏と毛利元就の大軍との鞍掛合戦の舞台となった。
2つの郭を中心に築かれているが、全体的に城郭の雰囲気を感じる程度で、明瞭な堀切などは見られなかった。
頂上展望台からは山腹を貫通する山陽新幹線や玖珂町の町並が一望できる。
【案内】 玖珂グランド東の駐車場が利用できる(玖珂町6264−3の西)[マップコード115 639 320*58] 。北に300m程行った表記番地の手前に登山道入口「鞍掛山登山道入口」の石碑と看板が建てられている(地図)。
直進した民家左に登り口(頂上まで650m)がある(地図) 。遊歩道の途中に道標が建てられており、中腹の2郭に「古戦場鞍懸城址」の石碑が建てられている。
その西に少し登ると展望台、説明板の建てられた主郭がある。
国道2号線玖珂駅前入口の東の交差点を左折し、100m北を左折、100m西の民家横に鞍掛合戦千人塚入口がある(地図) 。
「鞍掛戦死者之碑」の石碑や宇野千代の「千人塚に想ふ」と題された追悼碑(昭和63年)が建てられている(地図)。背後に鞍掛山を望むことが出来る。
後日、地理院地図で確認したら西麓に車道が通っており、終点の駐車場から登れるようだ[マップコード115 668 087*52]。
【歴史】 築城年代は不明。玖珂盆地の3万石の領主であった大内氏の三家老の一人・杉氏の居城であった。近隣には、すぐ北に椙杜(すぎもり)氏の蓮華山城、南側には小方氏の瀬田城がある。
弘治元年(1555年)に、陶晴賢が厳島の戦いで討死し、同年より毛利元就が周防・長門国への侵攻を開始した(防長経略)。
その際に城主であった治部大輔杉隆泰は、毛利元就の勧告に従い降伏した。しかし、蓮華山城の椙杜隆康が、大内氏と杉隆泰の内通を元就に訴えたため、毛利軍は十一月九日に鞍掛山城を攻めた。
2600人の兵と共に父・杉宗珊と籠城した隆泰がよく抗戦したため、毛利軍主力は山口方面に侵攻すると見せかけて蓮華山城へ7千の兵を入れ、十四日早朝に城の背後から奇襲を仕掛けた。不意を突かれた鞍掛城籠城軍は、混乱に陥って壊滅した。毛利氏に降って城攻めに加わっていた瀬田城城主・小方元康の手で隆泰も討ち取られ、鞍掛山城は落城した(鞍掛合戦)。
その後、鞍掛山城は廃城となった。