都我布呂城 (都我風呂城)
所在地 岡山県真庭市上山/吉備中央町溝部 2021.12.8
都我布呂城 (都我風呂城)
所在地 岡山県真庭市上山/吉備中央町溝部 2021.12.8
登城ルート(緑線は車道)
墓地にある道標
1番目の土橋
案内板
主郭
南側の段郭群
南端の堀切
都我布呂城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高10m】
【感想】 真庭市上山と吉備中央町溝部の境にある標高414mの尾根南端に築かれており、頂上から一段下がったところが主郭と思われ、案内板が設けられている。
樹木の少ない開けた南に段郭が見られ、南端に堀切が残っている。また3ヶ所の土橋のうち最初の土橋はよく残っていた。
【案内】 県道66号線の入り口に標識が建てられているが、矢印がなく東西どちらの道かわからない[マップコード235 434 238*61](地図)。交差点付近の住民に聞いたがわからなかった。
二度目の訪問で、西の狭い道を通って集落はずれの墓地に駐車できた(地図)。
墓地に650mと表示された道標があり、そこから南に行くと一騎駆けの土橋があり、更に2か所の土橋を経て城跡に着く。
南に4段ほど南西に3段ほどの段郭が残り、南尾根に堀切が残っている。
【歴史】 永禄年間(1558~70年)ころの築城と考えられ、『作陽誌』によると宇喜多家の士・芦田昨内・新山玄蕃が守っていたという。