三宅城 (みあけじょう)
最寄地 大阪府茨木市蔵垣内3丁目9−8 2015.5.3 2017.9.20
三宅城 (みあけじょう)
最寄地 大阪府茨木市蔵垣内3丁目9−8 2015.5.3 2017.9.20
説明板
蔵垣内公園にある城跡碑・説明板
三宅出羽守國村公碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 東海道本線「千里丘駅東」交差点より、東に約360m阪急京都線の踏切手前を左折、約260m行き左折する。
集合住宅(表記番地)斜め向かいの蔵垣内公園北西隅に「旧跡三宅城跡」の石碑と説明板が建てられている[マップコード1 742 694*66](地図)。
また阪急京都線西の民家に「三宅出羽守國村公跡」の石碑が建てられている(地図)。共に三宅城敷地跡と考えられる。
【歴史】 三宅城は、丑寅2丁目・蔵垣内3丁目に及ぶ小字「城之内」の辺りで、永正元年(1504年)に三宅出羽守國政が築き、永正から大永・享禄・天文・弘治を経て、永禄五年(1562年)までの58年間続いたとされる。
三宅氏の系図をみると、右京守政明・伊賀守清明・出羽守國政・美濃守國広・出羽守國村の名があげられる。
その頃の城の範囲は東西596m・南北540mと推定されており、この中のやや高まった場所に本丸があったと云われ、かなり立派なものだったと思われるが、詳しくは判っていない。
小字名に「堀田」「蓮池」「大名寺池」と呼ばれる地名などがあり、この城を偲ぶ手がかりとなっている。『茨木市教育委員会説明板』より。