清色城 (きよしきじょう) (国の史跡)
所在地 鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名60 2014.5.11
清色城 (きよしきじょう) (国の史跡)
所在地 鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名60 2014.5.11
登城ルート
城跡碑・入来小学校
入来小学校
入口・案内板
堀切
空堀・標識
本丸跡
中之城跡
清色城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 市立入来小学校(表記番地)敷地が仮屋跡であり、東側に城跡碑、説明板が建てられ、堀が残る。
武家屋敷を通って小学校西100mより南に行くと、入口があり案内板が建てられている[マップコード 147 801 438*51]。登ってゆくと間もなく岩を削った特徴的な堀切がある。
空堀に入ると、西に松尾城(地図)があり、東に行くと本丸跡、中之城跡、求聞持城跡、物見之段と並んでいる。本丸の西に西之城がある(地図) 。
曲輪の間はシラス台地を切り取った断崖絶壁の空堀は、他の鹿児島県内の中世城郭にも共通する特徴である。
平成十六年(2004年)9月30日、国の史跡に指定された。
【歴史】 薩摩国の有力国人である入来院氏(いりきいんし)が本拠とした城で、建築年度は明らかではないが南北朝時代の頃に原型が出来上がったのではないかと考えられる。
南北朝時代には南朝方に味方して、北朝方の島津氏らと争ったが、峰ヶ城攻防戦で当主の入来院重門は討死した。
家督は嫡男の入来院重頼が継いで、引き続き島津氏との争いを繰り広げた。
永禄十二年(1569年)、入来院重嗣は同族の東郷氏と連携して島津氏と戦ったが、東郷重尚と共に島津貴久に降伏し、以降島津氏に従った。
慶長二十年(1615年)の一国一城令により廃城となった。